悲惨な避難所生活、まどろい政府に怒りが

 震災からようやく2週間、時折余震の中、避難所生活もやや落ち着き、ようやく、物資輸送道路も確保され、食料も充分とは言えないまでも行き渡り、何とか明るい兆しを取り戻したみたいだが、東北の未だ雪降る季節の寒さが堪え、一番の欲しいものと言えば暖房である。しかし、油が無い。灯油が無い。そして近所に買い物に行こうにもガソリンが無い。本当に無い
無い尽くしである。これだけの実力を備えた我日本国が日本の政府何をやっているのか。不眠不休で頑張っているのだろうが、その成果が見えない。唯一ニュースで枝野官房長官の姿を見るだけである。菅首相は何をやっているのか。25日夜久し振りにメッセージを発した見たいだが、どう言う訳か印象が薄い。もう少し被災者の気持ちに響く、政府の力強い避難民に対するメッセージがあっても良さそうだとは思うが、一向に無い。
 
 素人の私でも、救援物資を運ぶのに何も難しい事無いのではと、思っていた。陸路が遮断されていたら、空路で運べるではないのかと、私は今日まで毎日思っていた。自衛隊でも、民間でもヘリコプターで運べるのではと何度も思っていた。それともこの期に及び規則云々なんて言っているのだろうか。本当にまどろっこしい事この上無い。何故一番良いと思った事出来ないのか、私は不思議である。そんな時の政府、そんな時の自衛隊では無いのか。それ以外私は今の菅内閣の存在意義等無いのではと正直思っていた次第である。それさえも出来ない政府なんて私は要らないと思っている。それだけ大事な責任のある時期だからである。
 
 避難民への救助は単に物理的満足のみでは無い。人間としての生きる権利である。それを全てやってこその救助である。今その避難所で死亡者が相次いで居るそうな。大半が寒さと、絶望の自殺死である。全てお年寄りである。折角津波から生き延びても、最終的にこれでは何のための人生なのか本当に悲惨である。
 
 一瞬にして、家も仕事も無くし、さらに家族全員を亡くした人達が気持ちが切れてしまい、安否が分からない家族を捜し、気持ちも張り詰めていた気持ちが、次第に目の前が真っ暗になり、悔恨や絶望で、生きていても仕方ないと落ち込んでしまう。これからはそういった被災者の心のケアをするのが最大の仕事になるだろうし、しなくてはならない。政府の責任はまだ始まったばかりである。