私とコンピューターの出会い

 私は大学時代に卒論で六本木の東大生産技術研究所(今は国立新美術館になっている)に一年間通学した折に、当時の勝田高司教授の研究室の講師村上周三先生(後に東大教授、前建築学会会長、現在独立行政法人建築研究所 理事長)に教えられ生まれて初めてコンピュータに出会い、その時の感激が今もって忘れられ無い。広さで言えば20畳位の部屋に機械の塊が整然と並んでいて、当時(昭和45年)日本一速い能力の大型コンピュータだったと聞いた。価格はこれもビックリ当時の価格で何億円もすると聞いて、さすが最高学府は違うなと思った。その汎用機も現在の20万円程度のノートパソコンより劣る聞くと時代の進歩には素晴らしいものを感じる。
 ものはさて、私が初めてコンピューターに出会ったのは正にその時だった。
 以来私はその虜になり、社会(我父の建設会社)に出てからも頭から離れず、当時(昭和46年)出始めのCanon 1614Pと言う真空管の今で言うパソコンだと思うが320,000で買った事を覚えている。これはパンチカードが付いていて、私はこのパンチカードでプログラム(穴を開ける開けないの2進法)を組み技術計算をしてた。その後その言語がベーシックからコボル、フォトランに代わり後にC++に代わっていく--------。
 それから私は1987年の昭和62年にはNECのPC-9800シリーズでワープロソフト(勿論当時ワードは当然無かった)を使い表計算は殆んどの方々はPC-9800シリーズでマルチプランとLotus 1-2-3と言うソフトだったが、私はリコーのマイ・ツールと言うソフト機器を使ってた。そして日本でも1990年にDOS/Vの登場とWindowsの普及とともに世界と同じPC/AT互換機への移行が進み、同時にまたアプリケーションソフトウェアの発達とパソコン本体の低価格化もあり、ワープロ専用機ユーザーもワープロソフトに移行していった。この過程でMicrosoft OfficeLotus 1-2-3などを駆逐してオフィススイートのデファクトスタンダードとなったのである。
 私のところはそう言う訳で今ではデスクトップPCが10数台、ノートPCが数台とアプリケーションソフト数10本となり、PCは殆んどが自作である。だから機器としてのメーカー保証が受けられないのがネックではある。そう言う事で不動産会社の兼業としてPCと付属周辺機器、それにアプリケーションソフトを扱う仕事もしているし、需要としてはファイル変換が結構あると思う。勿論昔はテキスト的変換が主だったが最近は画像・動画の変換と繋ぎとカット、CADファイルのラスベク変換が多いように思う。だから私のところは、大判スキャナーと大判プロッタ及び大判インクジェットプリンタの使用頻度が多い。これが趣味が興じ実益云々なのだろうがあまり商売になっていないのが実情だ。
 悪い事でわたしのところは、OS,ソフトその他の物が殆んど正規品で無い為、確かにカネは殆んど掛かっていないが、アップデートが受けられず、苦労する事が多いのも事実である。そのかわり高額なアプリケーションソフトが結構手に入るのでそれなりに受益も受けている。まだまだこのテの話は尽きないが、紙面と時間の関係上後日に譲りたい。