鳩山藩に原田甲斐は居なかった

 私は昨年来の政権交代を自分の事のように喜んで居いる1人だが、鳩山首相外交政策、特に沖縄普天間問題については非常に危惧している、と言うよりその段階を通り越して危険水域に入ってしまったと思っている。こうなる前にもう少し手を打てる筈だったにもかかわらずしなかった、と言うより出来なかったと思われる。彼はお坊ちゃん育ちで人がいいし、良過ぎる。その性格が災いし駆け引きに劣るみたいだ。そのいい例が先月終わりの党首討論である。何も真っ向からこの問題を取り上げ約束などせず、今までの自民党の答弁みたいに、軽くいなしておけばよかったのに、下手な意地で戦ってしまったところに彼の弱さ、未熟さがあった。これもひとえに小沢一郎との関係であろうと私は思っている。
 小沢一郎と言う男は無駄な事は一切しゃべらず、話した事は一切漏らさず、約束した事は必ず守る男であり、原理原則を旨とする男であるからして大概彼と対峙する場合、相手は苦手になってしまう。だから昨年の政権交代後の内閣編成相談時に小沢一郎と向かい合った時、鳩山は夢にまで見た総理を手中に浮かれとっさに「党はすべてあなたおまかせするので、内閣政務は私にお任せ下さい」と言ったのではないだろうか。私は現実にその場に居たわけでもないし、見た訳でもないが、小沢関係の著書等を見た者として、そう想像される。また、鳩山は苦し紛れによく簡単にそう言う事を言う男らしい。その悪い面が今回のこの普天間問題に出てしまった。彼はそう言う事はそんなに重大に思わない性格らしいし、それが軽いと言われる所以であろう。逆に小沢からすれば、「ああそうですかじゃあそうさせていただきます。」といって内閣には一切口を出さず党務だけをやっているのだろう。その代わり約束どおり党務には一切口を出させない、他から見れば一切協力もしないし相談もしないから何んなんだとなるだろうが、良し悪し別に小沢と言う男を理解しない者にとっては理解に苦しむであろう。私には良く解る。だからこそそれを理解できる人間が傍で取り持ってやらなければできなかったのである。政権交代したのはすべて小沢のお蔭と思ってやまない鳩山にとって、内閣編成相談時の小沢に対する1言がすべてだったし傍に仙台藩伊達家忠臣原田甲斐に代わる忠臣が居なかったのが今もって悔やまれる。

参考までに鳩山首相とその周辺の発言の変遷を記します。
<09年>
08.12 「一番いいのは海外、最低でも県外
11.12 名護市長が辺野古移転を容認「スタンスを変ていない」
11.13 オバマ大統領「日米合意の基本は守るべきだ」
11.13 オバマ大統領に「プリーズ トラスト ミー」
12.04 「辺野古は生きている」
12.04 「グアムも検討」
12.19 米国務長官に「日米合意強行すると大変危険。しばらく待って」「理解いただいた」
12.21 米国務長官、駐米大使呼びつけ「米の立場不変」伝える
12.22 「“理解”は頑張ろうという意味」
<10年>
01.25 新名護市長が当選「辺野古の海に基地作らせない」
01.27 「すべてが今、ゼロベース」
01.28 駐日米大使「現行案がベスト」
02.20 「ベストとかベターじゃなく、ベスト探す」
02.24 沖縄県議会が「県外」要求の意見書可決
03.05 「3月中に考えまとめる」
03.26 「極力、県外に移設」
03.29 「3月決着は法的に決まってない」
03.30 「“3月末”は5月末までに決めるということ」
03.31 「腹案がある」
03.31 「命がけで体当たりの行動をする」
04.01 岡田外相「腹案は閣僚間の検討案だろう」
04.02 鹿児島県知事「徳之島案には反対」
04.03 岡田外相「(徳之島案で)地元、米国と交渉している」
04.12 平野官房長官沖縄県議会に「県外軸に機能移転」
04.13 オバマ大統領に「普天間、5月に決着する」